2014年10月16日 (木)

ブログを引っ越します。

5日間泣き暮らし、少しずつ元気を取り戻してきました。

ブログをお引越ししました。

新しいタイトルは仮ですが、過去記事はそのままに、ソーキチとの出会いや思い出などを新たに付け加えていきたいと思っています。
旅行記も書きたいなあ。また色々なところへ旅したい。

新しいブログもよろしくお願いします。

引っ越し先

http://rememberyouandme.blog.jp/

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2014年10月14日 (火)

ソーキチ、旅立ちました。

放置状態でほとんど読まれていないこのブログですが、それでも書き留めておこうと思います。

愛猫ソーキチが10月11日の夕方に旅立ちました。

野良猫だったソーキチと出会って15年。
FIVのキャリアだったので、10歳くらいまで生きれくれれば万歳だと思っていたところ、18歳(推定)まで頑張ってくれました。

腎臓ガン、糖尿病、慢性口内炎、腎不全……猫生の半分近くが病気との戦いで、何度も天国へ旅立ちかけては、私たちのところへ戻ってきてくれました。

そんなソーキチも、とうとう力尽きました。

最近はトイレにも行けなくなり(行こうとするのですが間に合わないのです)、ご飯も食べなくなっていました。歩き方もよたよた。

しかたなく、人間が寝るときと留守番をしてもらうときだけオムツをさせました。でもオムツはかぶれがちなので、私が家にいるときはできるだけはずしていました。その代わり、ソーキチがのそのそ動き出すと、おしっこシーツを持って追跡、お尻の下にサッ(笑)。毎日がストーカーでした。

オムツは人間の赤ちゃん用に尻尾穴をあけて手作りしました。試供品が手に入らず、子育て経験のある友人に話を聞いたり、ドラッグストアのオムツコーナーで見知らぬママさんに声をかけて使い心地を尋ねたり。

そのオムツもたくさん残ってしまいました。
ペットシーツもサプリメントも、未開封のまま残ってしまいました。

それでも、文字通り付きっきりだったこの1か月、体力的には大変だったけど、精神的にはこのうえなく充実した幸せな日々でした。 愛するものと常に同じ空間で過ごし、常に触れ合うという体験は、私には初めてのことでした。オムツの穴をあける作業ひとつさえ喜びでした。

ソーキチも、オムツを変えるたび、お風呂でお尻を洗うたびに、ゴロゴロと嬉しそうでした。

そして最後は、自宅で看取りたいとの希望を叶えてくれました。しかも3連休。夫は会社を休むことなく見送ることができました。

本当に、最後まで孝行ネコでした。

ソーキチ
私たちのところに来てくれてありがとう。
小さな命で、大切なことをたくさん教えてくれたね。
15年間、幸せだったよ。
愛してるよ。
大好きだよ。
忘れないよ。
いつかまた会おうね。
私たちが虹の橋に行くときがきたら、
迎えに来てね。

写真は遺影に使ったものです。私たちの特にお気に入りの1枚で、斎場のスタッフのみなさんに大好評。 葬儀に立ち会ってくれた義姉は「それかいっ!」と突っ込んでくれました(笑)

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2012年4月11日 (水)

誕生日2012

朝からたくさんの友人からお祝いのメッセージをもらいました。


メッセージを読むまで、今日が誕生日であることをすっかり忘れていました。


夕方、インターホンの向こうで、「お届けもので~す」の声が。

玄関に出ると、蝶ネクタイをしたイキなおじさまがニコニコしながら

「お誕生日のお花をお届けしました」

私はというと、シャワー上がりで髪はびしょびしょ、ジャージ姿。かなり照れながら「あ、ありがとうございます」

夫からのサプライズプレゼントのアレンジフラワーup

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お礼のメールを送ったら、「やっと届いたか」。

昼休みに電話があったとき、「なんか変わったことはないか?」と聞いてきたのは、どうやらこのことだったらしい。

夜は、近所のレストランで久しぶりの外食。近所にこんな素敵なレストランがあるなんて知らなかった。

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全部いただきっ!・・・・・・なワケはない。

このほかに、文庫用のブックカバーをプレゼントしてくれました。新しいのが欲しいと思ってたんですよ~。鈴の形をしたしおりがgood!

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電車の中でこのブックカバーの本を読むアラフォー女がいたら、それは私かもしれない…フフフ…

さて。

この日記にも何度か書いたように、私は夫の誕生日および結婚記念日を毎年のように忘れるダメ嫁でございます。

そんな嫁の誕生日を毎年忘れずにお祝いしてくれる夫に、今日は頭があがりません(あくまでも「今日だけ」なのですが(笑)しかも誕生日はもう終わってるし笑笑)

一年はあっという間に流れ、人生の折り返し地点はとうに過ぎてしまったのかもしれないけれど、私はまだまだ夢を追いかけますよ~scissors

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2012年3月12日 (月)

あの日を思う

昨日は日生劇場へ「ジキルとハイド」を見に行った。

東日本大震災から昨日でちょうど1年。ソワレ公演だったので、出発前に自宅のテレビで追悼式典を見ながら、地震の発生した時間に黙とうした。


劇場のロビーには花がなく、カーテンコールではキャストの音頭で、追悼の鐘とともに全員で黙とう捧げた。

黙とうをささげるたびに、去年の3月11日を思い出して涙がこぼれそうになった。

我が家はお皿とCDが数枚割れた程度でたいした被害はなかったけれど、9時間以上にわたる停電中は不安でたまらなかった。

闇のなか、小さな懐中電灯の明かりと、ウォークマンのテレビ音声だけが頼りだった。余震のたびに猫を抱きあげて身構えていたので、私の不安が伝わったのか、片腎の猫がトイレをしなくなった。さすがにそのときは「しっかりしなくちゃ!」と自分を叱った。

でも、それ以上に不安だったのが原発事故だった。

映像には、次々と避難を始める人たちの姿が映った。新聞には、残さざるをえなかった動物たちのことを心配する飼い主の記事が載った。

首都圏にも放射能は飛んでくるのだろうか。

同じように避難しなくてはならないとしたら?

車もない我が家は、一日2回のインスリン治療が必要な愛猫を連れて、どこへどうやって避難したらいいのだろうか。

そもそも、猫を連れていけるのだろうか。

もしかしたら、万が一の方法をとることも覚悟しなくてはいけないのか?

そんなことを、本気で考えていた。

わからないということが、こんなにも不安なものだとは思わなかった。


昨日、劇場前では、原発反対・脱原発のデモをやっていた。

原発を取り巻く複雑な経済的・政治的状況を考えると、安易に反対を唱えたくない反面、あの不安だった日々を思い起こすと、デモに混じって、「原発はいや!」と叫びたくなる自分がいた。

そもそも、地震や津波が多く、国土の狭い日本は原発設置に向いていない。

「先生」と呼ばれる人たちのなかで、本質をしっかりとらえ、目先だけでなく遠くも見据え、「国民」のために働いてくれる人はいないのだろうか。


そんなことを考えながらの観劇だったけど、舞台はすばらしかった。久しぶりの「大人のミュージカル」を堪能したという感じ。
知り合いが出演していたので、終演後は差し入れをもって楽屋にお邪魔した。
こういう舞台はいくらでも見たいものです♪(お金の続く限りだけど・笑)

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2011年12月31日 (土)

よいお年を!

ブログ類を更新しなくなってもうずいぶんたつけど、今日は今年最後の日。一年を振り返って久々に日記を書いてみようと思う。

3月11日、未曾有の大震災があり、9時間近くの停電を経験し、電気と情報のありがたさを痛感した。

地震から2週間後、長年住んでいたアパートの取り壊しが決まった。地震のとき会社にいた夫が、「絶対あのアパートは潰れてる!」と思ったほどぼろいアパートだったから、壊されるのも無理ないかsweat01

夫婦間協議の結果マイホームを購入することに。予算を考慮して、中古のマンション・戸建てを中心に物件を見て回る。今年は博物館めぐりをして休日を過ごす予定だったのが、急きょ物件めぐりに変更。

退去期限まで6カ月。焦る焦る…。
必死で探すなか、同じアパートの真下に住む一人暮らしの方が亡くなった。孤独死だった。名前すら知らないご近所さんだったが、異変を察知して管理人さんに連絡したのはこの私。死亡から約一週間後の発見。季節は初夏。こうなると「引っ越さなくては」から「早く引っ越したい」に気持ちが傾く。焦る焦る焦る…。

30件ほどの物件を見た。そしてついにある中古マンションの一室にめぐりあった。

我が亭主殿は、実は自分の手で家を建てたかった人。残念ながら、この時点でその願いはかなえられなかった(もしかしたら一生ムリかも)。なのでせめて、新居のリフォームは自分たちの手でやることにした。いわゆるセルフリフォーム。夫のたっての希望もあり、LDや寝室の壁に漆喰を塗ることにしたのだ。

9日間の夏休みをとり、セルフリフォーム決行。古い壁紙のはがしから下地塗り、漆喰塗りまで全部自分でやった。新居に寝袋を持ち込んで、カーテンのない部屋で日の出とともに目覚め、ひたすら壁紙をはがす毎日。私も後半数日は泊まり込んで手伝った。もっとも、頸椎ヘルニア持ちには長時間の壁塗り作業はムリ。夫がガリガリとはがす横で、読書やワンセグテレビにふける(何しに行ったんじゃ…)。

3部屋の壁を塗る予定だったが、けっきょく1部屋残す。その後、床の張り替えやバスタブの交換など、プロのリフォームが入り、秋が始まる頃には無事に引越し終了。

ソーキチもすっかり新居に慣れた。前より広くなった部屋で、たまにかくれんぼなどをして遊んでいる。夫が手作りした暖炉風のテレビ台も好評です。

大晦日の今日は、夫が残りの部屋の壁塗りをやっている。夕方からは夫の実家へ、猫を連れて帰省して(帰省といっても、うちから車で10分ほどのところ)、近所のお寺に鐘突きに行って、明治神宮にお参りにいくつもり。当たり前の生活が送れる幸せをかみしめつつ、感謝を忘れずに。

さて来年は………

長年しつこく英語を勉強してるけど、なかなかモノにならない。それでも、今年の後半あたりから、やっと英語を読むのが面白いと感じるようになってきた。週に1回の英会話サークルも楽しい。

昨年末に音響外傷性難聴になって、しばらくカラオケは控えていたけど、11月から復活した。改めて「歌うのっていいな~~♪。」来世はやっぱりミュージカル女優か宇宙飛行士で決まりだな(笑)。

引越しも終わって落ち着いたので、来年はもう少し英語をがんばって、カラオケももう少しマメに行きたいです。

よいお年を!

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2009年11月11日 (水)

2009北風陸旅⑦アンコウ鍋(写真なし^^;)

◆9月2日(水)夜~9月3日(木)

夕飯はキャンプサイトでとりました。キャンプ場へ戻る前に地元のスーパーへ寄り、アンコウ鍋の材料を購入。日本海に面した富山のスーパーではシーフードが豊富。アンコウ鍋は夫婦そろって初めて。

持参した粉のうどんスープの中にアンコウを入れます。ご飯も炊きます。3回目ともなるとさらにコツがつかめたみたいで、かなりおいしく炊けたと、ダーリンはご満悦。

アンコウ鍋に使った鍋は、数年前に屋久島のホームセンターで買ったもの。私たちは「屋久鍋」と呼んで、キャンプのたびに持参しています。いえフツーの鍋なんですけどね(笑)

ちなみに今回の旅では、キャンプ場近くのファミリーマートで長袖シャツを買いました。無印良品のフツーのシャツですが、すでに「おわらやシャツ」と呼ばれ親しまれております。

肝心のアンコウ鍋ですが、アンコウの味が出てかなりの一品。写真を残しておきたかったのですが、外がすっかり暗くなり、高性能のランタンがなかったため、撮影不可。

今夜も楽今日館でお風呂をいただき、テントで仮眠をとりました。

夜中の12時半に起床。車で出発。目指すはおわら専用駐車場。カーナビを頼りに暗い道を走り、なんとか到着。

町に入ると、夜中なのに開いている屋台がけっこうあります。おわら期間中の交通規制は夜中の1時ぐらいまでなので、解除されるまでは搬出できないようです。以上、昼間に飛騨牛の串焼きを食べた時にお店の人から仕入れた情報。

町流しをあちこちでやっています。昼間と違って踊り手は笠をかぶらず、気楽な雰囲気で流しています。

続きます。

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2009年10月23日 (金)

2009北風陸旅⑥おわら風の盆~昼の部その2~

  ◆9月2日(水)午後

越中八尾駅に到着してまず驚いたことは、屋台が充実していること!(笑)

099_04392_1430_2 数種のやきそば、普通のと白いたいやき、飛騨牛の串焼き。白いたいやきってどんなんだろう~~

昼の町流しは15時からなので、まだ閑散としています。

駅前の通りをはずれて裏道を歩いて行くと、あちこちに田んぼが。通りすがりの地元の人が、あいさつをしてくれます。

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衣装を着た若手衆に出会いました。いよいよ町流しが始まります。

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町のあちこちに作られた特設舞台。

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集落ごとに踊りが微妙に違うので、全集落の踊りが見たければ、こういった舞台に張りつているほうがいいかも。

舞台にいない集落は、どこかで町流しをしているはず。

再び歩きはじめると、三味線、胡弓、太鼓の音色が聞こえてきました。音のする方へ向かって急ぎます。

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輪踊りに出会いました!

女性の手の動きはすごくなめらかで優雅なのです。しかも普通の盆踊りに比べて動きが複雑。

小さな頃から、優雅な手の動きを習うようですね。

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男踊りは力強いのが特徴。女踊りとはまた動きが全然違います。

099_051 着物や帯締めの色が、集落によって違います。踊りが変われば衣装も変わるんですね。凝ってます。

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踊りの後ろに続くのが歌や楽器。歌い手は一人ではなく、何人かが交代で流します。

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八尾は小さな町で、多くの観光客を受け入れる旅館や食堂などがありません。でも、観光客が休めるように、それぞれの民家の玄関先にベンチを置いてくれています。

小さなお店でコーヒー牛乳を買いました。お店の人にすすめられ、ベンチでひと休み。聞いてみると、今年は環境客の数が例年より少ないそうです。前夜祭を一日から一週間に延ばして分散させたこと、平日であること、新型インフルエンザや選挙(衆議院選総選挙がありました)の影響などがあるのではないかと、ご主人は話してくれました。

祭りの期間は、住民より観光客の数の方が圧倒的に多くなる八尾ですが、地元の人はすぐわかります。ベビーカーを押すお母さんも、小学生の男の子も、トングとゴミ袋を手に持って歩いているのです。当然、町はゴミひとつ落ちていません。

予想ほど混んでなかったので、目の前でじっくり踊りを堪能しました。それでも夕方ごろになると突然観光客が増え(ツアーバスが到着したようです)、賑やかになってきました。

ひとまずキャンプ場に戻ることにしました。

続きます。

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2009年10月 6日 (火)

2009北風陸旅⑤おわら風の盆~昼の部~

◆9月2日(水)

翌朝はゆっくり起床。・・・・・・といっても、朝に9時ごろになるとテントの中が暑くなって、望まなくても目が覚めてしまいます。昼は暑いという話しはウソではないようです。

朝兼昼食は、これまた持参したレトルトカレー。今回のキャンプでは夫がお米を炊いてくれているのですが、作るたびにコツを会得しているようです。カレーライス、なかなかいける。

さて、今回の旅は何かとプチトラブルに見舞われたわけですが、私の最大のトラブルは、腕の日焼け。

毎日ちゃんと日焼け止めクリームを塗っていたはずなのですが、どうやら山では量が甘かったらしく、ヒリヒリ。山での感覚がやっぱり鈍ってるんだな~。

今日も午後の一番暑い時間を外で過ごすので、これ以上焼けたらやけど状態になってしまいそう。急いでドラッグストアを探し、UVグローブを購入しました。

準備万端、いよいよ八尾に向けて出発です。笹津駅から電車で数分。

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JR高山線。こちらは赤の電車。

単線なので、上下線が同時に到着します。

さて、越中八尾の「おわら風の盆」ってどんなお祭り?という方に、しばし講義を。

ときは江戸時代の元禄15年。日本全国でさまざまな文化が栄えた時代です。この文化は庶民色が強いのが特徴。

そんな時代に「おわら風の盆」は始まりました。立春から210日目が台風の厄日にあたるため、災害が起きないように祈りをこめ、毎年9月1~3日に行われています。風の神様を静めるので「風の盆」と呼ばれるようですね。藁の束が大きくなるようにという願いを込め、「大藁」という言葉が展示で「おわら」となったといわれていますが、命名には諸説があるようです。

城下町を思わせる町並みを、地元の男女が、夜を徹してひたすら無言で踊り歩きます。艶やかな女踊りと、勇壮な男踊り、聞こえてくるのは三味線と胡弓の音色に、おわら節の切ない歌声だけ。

私の夫が15年ほど前、初めてテレビでこの踊りを見た時、「いつかこの目で生の踊りを見てみたい」と強く思ったそうです。

テレビで放送されて以来、かなり人気のこのお祭りですが、今年は平日開催なので、もしかしたら例年より人出が少ないかも。

夫が、「どうしても今年に行きたい」と言ったのは、ここに理由があったのです。

笹津駅から2駅で、越中八尾駅に到着しました。

続きますよ♪

※「おわら風の盆」について詳しく知りたい方は、越中八尾観光協会のサイトもどうぞ!

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2009年10月 5日 (月)

2009北風陸旅④ベースキャンプ場に到着

◆9月1日(火)続き

室堂から再びバス、ケーブルカー、電車で、電鉄富山駅へ戻りました。

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地方に多いワンマン電車。黄色と緑がかわいいですよね。

富山駅でレンタカーを借ります。山の夜は寒かったけれど、下界はどうなのだろう。レンタカーのおじさんに聞いてみると、昼は暑いけど朝晩は冷え込むよ、とのこと。

借りたばかりの車に乗って、富山市街をドライブ。富山きときと市場で、ホタルイカの沖漬、白エビの刺身(冷凍)、「さし」と呼ばれるカジキマグロを挟んだ昆布〆を購入して、それぞれの実家に発送。

併設のお店で遅い昼食。海鮮丼をいただきました。日本海の魚はやっぱりおいしいな~。

夕方、天湖森キャンプ場に到着。こんなに設備の整った値段の高いキャンプ場に泊まるのは珍しいんですけど、今回の旅の最大の目的を達成するためには、ここをベースにするのが最善だということで・・・

というわけで、今回はタープも持参しました!

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実はこのタープが、ダンナの大きな荷物の元凶だったのですね~。小さいタープなんですが、ポールがけっこう重いsweat01

長めのャンプ場滞在を快適に過ごすために持ってきたのですが、山では基本的に使いません。重くて歩くのが辛かっただけ。

山に不要な荷物は、登山前に富山駅のロッカーに預ければよかったんだよね~。下山してから気づいて、ダンナはショック。遅い・・・・・・sweat02

テントを張ったらすっかり暗くなってしまいました。車で近くの楽今日館のお風呂へ行きました。キャンプ場滞在者に割引があることを知ったのは、フロントでお金を払ったあと。割引券はキャンプ場でもらわなくてはなりません。

でも、「え~~、そんなの・・・・・・・・・知りませんでした・・・・」と、私が困ったようにつぶやいてしばらく無言になると、楽今日館の受付のおじさんが、「今日だけ特別です」といって、割引分のお金を返してくれました!(やってみるもんだ~~note

さて、今回の旅の最大の目的。それは、越中八尾のおわら風の盆を観ることなのです。このお祭りは人気なので、近隣の宿は一年以上も前から満室。それで私たちはキャンプ場を利用することにしたんですね。

今日はお祭り一日目。楽今日館のロビーのケーブルテレビでは、今日の演舞場を様子をライブで放送していました。私たちがナマの踊りを観るのは明日です。

キャンプ場に戻って、インスタントラーメンで簡単に夕食を済ませ、就寝。富山の夜は秋本番。鈴虫がリーンリーンとすがすがしい。

まだまだ続きます。

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2009年10月 2日 (金)

2009北風陸旅③雷鳥沢→下山

◆9月1日(火)

午前3時。外はまだまだ暗いなか、隣にテントを張っていた大学のワンゲル部10名(おそらく)が、撤収を開始しました。バサバサとテントを振り、大きなかけ声が暗闇に響きます。せっかく気持ちよく寝つけたのに、目が覚めてしまいました。

若者たちが立ち去ると再び眠ることができ、次に目が覚めると、なんとすでに7時近くっ!

ちなみに夫は、彼は5時ぐらいに目が覚めて、朝食の準備にために外に出ようとしたけれど、冷え込みが激しくて断念したそうです。

朝もやの中にたたずむ私たちのテント。

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霧で何も見えなかった雷鳥沢の周辺が、時間がたつにつれて徐々にその本来の姿を現し始めました。

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昨日の寝不足、寒さ、朝方の隣の撤収で、けっきょく早起きができず、剣御前への登山は時間的に不可能。のんびりと、キャンプ場周辺を散策することにしました。剣岳を目の前に拝みたかったけど、今日も寝不足だと辛いので、いたしかたない選択・・・。

でも、そんな「残念」が吹っ飛ぶような雷鳥沢の風景に感動!

朝露に濡れたお花畑が陽の光を受けてキラキラ輝き、まるで宝石みたい…。キャンプ場と管理棟も見えます。099_029

ピンクに輝いているのは、「チングルマ」という花の種。かわいい花を咲かせる高山植物ですが、私たちは種しか見たことがないのです^^; 

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テントを撤収して荷物を背負ったまま、雷鳥沢ヒュッテの温泉へ再び。昨日入りそこねた露天風呂に入るためです。

左に見えるのが雷鳥沢ヒュッテ、真中がロッジ立山連峰。小さな露天風呂からキャンプ場の見事なカール地形が見渡せます。小屋の軒にイワツバメの巣があって、親鳥がヒナに餌を運んでいました。

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ひと風呂あび、室堂バスターミナルへ向けて来た道を戻ります。

睡眠十分で、今日は足取りも軽い。

昨日は霧で見えなかった地獄谷も、今日はこんなにくっきり。

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石ばかりかと思ったら、こんなプチ湿原もある地獄谷。有毒ガスの発生が強くなると、「ご注意ください」というアナウンスが数ヶ国語でひっきりなしに流れる。

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遠く雲海の上に、剣岳も見えてきた!

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みくりが池。美しさにため息。

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池の近くには「みくりが池温泉」。立山の山小屋はどこも立派です。ここまで来ればバスターミナルもすぐです。

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雷鳥には出会えなかったけれど剣岳は遠くに拝めたし、幻想的な朝の雷鳥沢とみくりが池の真っ青な水面がすばらしく、大満足。

ところで、しょっちゅう空を飛んでいた尾の白い鳥はなんだったのだろう。てっきりそれが雷鳥だと思い込んで喜々としていた私たち、雷鳥ではないとわかったのは、山を降りる直前だったのですが・・・

小さな写真では伝えきれなかった雷鳥沢の美しさは、雷鳥沢ヒュッテのHPでご堪能ください。

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