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2007年1月

2007年1月30日 (火)

諦めることと諦めないこと

前回の続きです

この頃から私は物事に対して、「諦めるべきこと」「諦めなくていいこと」を無意識に分別しているような気がする。

諦めるべきこと=例えば、生まれを変えることはできない、人種を変えることはできない、他人には成り代われない、他者の気持ちは変えられない、など。

諦めなくていいこと=これからの自分、これからの未来、他者を思い通りにすることは至難の業だけど自分をコントロールすることはできる、など。

諦めるべきことはきっぱり諦めてあまり気にしない。諦めなくていいことには大いに期待を持って努力する。

自分のことを「好きです」と胸を張って言えるようになった訳ではない。でも少なくとも、自分という存在を掛け値なしで認識することはできるようになった。さらに不思議なことだけど、この分別が上手にできるようになってきたら、他者のありのままの存在も自然と認めることができるようにもなった。

私は夫のことを、私にとって最高の人だと信じている。かといって、彼が完璧な人間だとはまったく思っていない。彼にだって当然だけど欠点はある。お互いの欠点が原因でケンカになることもあるけれど、最後には許しあえる。それは、お互いがお互いを完璧でないことを承知しているからだと思う。

2つの殺人事件の加害者も被害者も、本当はタンポポなのに薔薇になろうとしたのかもしれない。そして今の世の中は、この事件の加害者と被害者予備軍で溢れている。そう感じるのは私だけなのだろうか。

タンポポでもいいじゃない。タンポポにはタンポポの良さがある。そんなタンポポを嫌いだと言う人もいるかもしれないけど、ダメだと言う人もいるかもしれないけど、言わせておけばいい、放っておけばいい。野に咲くタンポポを見てごらん。好かれようと嫌われようと、一生懸命その花を咲かせてる。ただ無心に精一杯、花を咲かせてる。それが本物のプライドだよ。

この種のニュースを聞くたびに、私はそう叫びたくてたまらなくなってくる。そして最後にはいつも、テレビの向こうの誰かに向かってではなく、自分自身に向かってこの言葉を叫んでいる。

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ありのままを認める

前回の続きです

プライドを捨てるのは大変な作業だった。それまで大切に育ててきたものを捨てる。これは想像以上の恐怖と戦わなければならない。何度も手放しかけて、またつかんで、再び手放して・・・最初はこの行為を繰り返すだけ。

何が怖いのか。それは、このプライドをなくしたら自分は生きていけなくなるのではないかという恐怖だった。だから、幻想的プライドを手放すと同時に、代わる何かを見つけて、新しい支えを持たなければならなかった。

必死で探し、そして見つけた新しい支え。それは、自分のありのままを認めること。上っ面ではなく、心から自分のありのままを認めること。

それまでの私は、自分のことが大嫌いだった。自分はどこかが足りないという思いでいっぱいだった。あの人のようになれたら、この人のようになれたらと、他人を羨むことと、憧れの誰かのコピーになることでしか自分を計れなかった。

でも、私は私にしかなれない。桜は桜として、薔薇は薔薇として、タンポポはタンポポとしてか生きられないように、私は私としてしか生きられない。私がどんなに嘆こうがもがこうが、私が私にしかなれないのは宿命であって、決して変えられるものではないのだ。

諦めようと思った。もう観念しようと。じたばたしたって、他人の人生を生きることはできない。

そう諦めがついて以来、烈火のごとく怒り狂うことは徐々になくなっていった。

またまた続きます

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見下す人々

年明けのニュースから。

渋谷で続いたバラバラ殺人事件。兄が妹を、妻が夫を無残に殺した。

この2つの出来事を聞いて2つのキーワードが心をよぎった。それは、「プライド」と「人を見下す」ということ。

兄は妹に「夢がない」と見下されたことによりプライドが傷つけられ、妹に手をかけた。
自分のプライドを保つために年下の夫を支配していた(見下していた)妻は、夫が高収入を得るようなってから立場が逆転、暴力という手段で自分を見下す夫に手をかけた。

人はどんなときに他者を見下すのだろうか。

以前、絶対評価と相対評価という記事を書いたとおり、今の世の中は相対評価だらけ。他者と自分を比べることでしか人々は自分の価値を見い出せなくなっている。

でも、どうしても限界ってある。ひとりの人間にすべてのことができるはずがない。欠点のない人間がいたらお目にかかりたい。完璧な人間がいたらお目にかかりたい。私はこれまでに、「この人は欠点のない完璧な人だ!」手放しで賞賛できる人間に出会ったことがない。

それに、完璧か否かを決める基準は人それぞれであって正解というものがない。それなのに多くの人が「自分は完璧だ。完璧でありたい」という思い込み=プライドを抱いている。でもそんなプライドはしょせん幻想だから、とてももろくて壊れやすい。

もろくて壊れやすいプライドを支えに生きている人間にとって、このプライドを壊されるのは恐怖以外の何物でもないから、常に保っている必要がある。

もろくて壊れやすいプライドを保つ方法のひとつ。それが「他者を見下す」という行為。身近な相手の欠点を責め立てて落すことができれば、自分は「えらい」と実感することができる。相手を支配することで、自分の力を誇示することができる。たとえそれが偽の力であったとしても。

今回の2つの殺人事件は、殺す側も殺された側も、この幻想的プライドに翻弄された結果なのではないかと思えてしかたがない。

かくゆう私も、昔はもろくて壊れやすいプライドを支えに生きていた。だからちょっとでも自分の何かを批判されると烈火のごとく怒り狂っていた。そしてそのプライドが夫婦関係にも影を落としていた。

自分のプライドに問題があることはうすうす気づいていたから、私はこのプライドを捨てる決心をした。このまま行ったら夫婦関係が破綻するかもしれないと思ったから。

でも、幻想的プライドを捨て去るには、想像以上の時間がかかったのも事実だった。

続きます

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2007年1月25日 (木)

今年の抱負?-「ありがとう」のその後2

昨年は「ありがとう」という言葉の大切さに目覚めた年でした。

偶然のきっかけから知ったこの言葉ですが、折りしも自身が体調を崩していた最中でもあり、抵抗なく受け入れることができたのは幸いでした。

以来、日常生活においてこの言葉を意識して生活してきました。ちょっと不安なことがあるときも、この言葉に助けられました。

そのおかげか、不調なときがあったのにもかかわらず、昨年は「いい年だったな~」という記憶しかありません。

昔は色々な人の意見や感情に振り回されてしまう性質だったのですが、

「最後は自分。周りを変えようとするより、自分を変えていこう。自分の道をしっかり生きていこう。自分を生きるしか道はないのだから」

そう腹をくくり、「ありがとう」という言葉を支えにしていくうちに、少しずつ強くなってきたような気がします。

そして、そんな自分の変化を実感できたのも昨年。心が穏やかになり、物事もスムーズに運ぶようになった気がしています。

今年も「ありがとう」を軸に、もっともっと、芯から強い自分になりたいと思います。

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近況報告

あけましておめでとうございます。

って、今更ですよね。気がつけばあっという間に1月が終わろうとしています。
なのでまずは近況報告から。

■お正月

夫の実家で食っちゃ寝生活。ソーキチは昨年より少し実家に慣れたようで、今回は義母や義姉とコミュニケーションをとっていました。ヨカッタヨカッタ~(^o^)。

■大掃除

お正月休みが終わり帰宅するも、我が家のあまりの汚さに改めて愕然(ーー;)。実家がきれいだったからギャップが激しすぎ。

というわけで、正月明けの3連休は二人して部屋の大・大掃除! 年末大掃除ならず年明け大掃除です。溢れかえった本を処分して、整理ダンスを買って、押入れも整理して・・・。

押入れといえば、お客様用の布団も古くなっていたの思い切って処分してしまいました。

これは「我が家には泊まりに来るな」という意味では決してありません。むしろお泊り大歓迎。ただし、お休みの際は恐縮ですが寝袋のご利用をお願いすることに決定。ちょっとしたアウトドア気分が味わえてそれもまた楽しいですよ~(←と、勝手に決めつけています)。

結果的に大掃除はリフォーム大会と化し、本当に丸3日間かかってしまいました。でもおかげで部屋はかなりスッキリ! あれだけ頑張ったのだからと、今でも整理整頓をキープしてします。

■仕事

大掃除が終わってからすぐ仕事に流れ込みました。お正月明けなのに何故か疲れ切っての出勤です^^;。

2~3日で終わる予定が、途中から大きな仕事が追加され、けっきょく今月はほとんど出勤することに(T_T)。久しぶりに1週間ぶっ続けで働きました。今月は稼いだぞ~っ。

とまあ、こんな感じで1ヶ月があっという間に過ぎてしまいました。

さて、今年はどんな年になるのでしょうか。続きは次の記事で!

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