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2007年1月30日 (火)

見下す人々

年明けのニュースから。

渋谷で続いたバラバラ殺人事件。兄が妹を、妻が夫を無残に殺した。

この2つの出来事を聞いて2つのキーワードが心をよぎった。それは、「プライド」と「人を見下す」ということ。

兄は妹に「夢がない」と見下されたことによりプライドが傷つけられ、妹に手をかけた。
自分のプライドを保つために年下の夫を支配していた(見下していた)妻は、夫が高収入を得るようなってから立場が逆転、暴力という手段で自分を見下す夫に手をかけた。

人はどんなときに他者を見下すのだろうか。

以前、絶対評価と相対評価という記事を書いたとおり、今の世の中は相対評価だらけ。他者と自分を比べることでしか人々は自分の価値を見い出せなくなっている。

でも、どうしても限界ってある。ひとりの人間にすべてのことができるはずがない。欠点のない人間がいたらお目にかかりたい。完璧な人間がいたらお目にかかりたい。私はこれまでに、「この人は欠点のない完璧な人だ!」手放しで賞賛できる人間に出会ったことがない。

それに、完璧か否かを決める基準は人それぞれであって正解というものがない。それなのに多くの人が「自分は完璧だ。完璧でありたい」という思い込み=プライドを抱いている。でもそんなプライドはしょせん幻想だから、とてももろくて壊れやすい。

もろくて壊れやすいプライドを支えに生きている人間にとって、このプライドを壊されるのは恐怖以外の何物でもないから、常に保っている必要がある。

もろくて壊れやすいプライドを保つ方法のひとつ。それが「他者を見下す」という行為。身近な相手の欠点を責め立てて落すことができれば、自分は「えらい」と実感することができる。相手を支配することで、自分の力を誇示することができる。たとえそれが偽の力であったとしても。

今回の2つの殺人事件は、殺す側も殺された側も、この幻想的プライドに翻弄された結果なのではないかと思えてしかたがない。

かくゆう私も、昔はもろくて壊れやすいプライドを支えに生きていた。だからちょっとでも自分の何かを批判されると烈火のごとく怒り狂っていた。そしてそのプライドが夫婦関係にも影を落としていた。

自分のプライドに問題があることはうすうす気づいていたから、私はこのプライドを捨てる決心をした。このまま行ったら夫婦関係が破綻するかもしれないと思ったから。

でも、幻想的プライドを捨て去るには、想像以上の時間がかかったのも事実だった。

続きます

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